その日、私と兄さんは、屋敷を飛び出した。



親の束縛から逃げ出すために、どこまでも走って逃げ出した。


当然、追っ手が走って追いかけてきた。

でも、私たちに追いつくわけが無い。私たちは、どんどん引き離していく。


「ざまあみろ、馬鹿ども!」

私はあいつらとかなり離れた地点からそう言った。

「お待ち下さい、お嬢様!」

「待てって言われて待つ馬鹿がいるか!」

私はそういってまた逃げようとする。しかし、兄さんが私の服の裾をつかんだ。


「くそっ!まずい、父さんだ・・・逃げるぞ、楓!」


私がえっ、と声を上げている間に、父上はもう兄さんを捕まえてしまっていた。


「何をしたかわかっているのだろうな?楓、椿」


父上が鋭い目で兄さんと私を睨みつけた。私は目をそらしたが、兄さんはじっと父上を睨み返していた。


「何だその目は・・・椿、私に歯向かうつもりか?」

父上が威圧感を剥き出しにして兄さんを睨みつける。それは実の息子に向けるべき視線ではなかった。


「僕は父さんの人形じゃない・・・!」

兄さんが父上に対抗してさらに眼光を鋭くする。父上ほどではないが、今まで私に見せた事の無い憎しみを帯びた目だった。


「・・・・ふん。貴様がその気なら良い。貴様にはこの家のしきたりを身を持ってわからせてやろう」

父上は、不適に笑って兄さんを連れ帰った。兄さんも、これ以上の抵抗は無駄だとわかり、大人しく従った。


その日の夜、兄さんは重くて冷たい鉄の扉の中に父上と一緒に入っていった。

何が起こっていたのかは想像がついた。鞭打ちの音と兄さんの悲鳴が聞こえたから。

その夜、私は父上を止められなかった自分の無力さに涙を流した。


次の日の朝、兄さんはいつも通り私の隣のベッドにいた。

ぐっすり寝ていたように見せているが、目の下にはクマができて、顔は苦痛で歪んでいた。

私が起きたとわかると、兄さんはいつも通り微笑んで挨拶をしてくれた。

そして、父上に呼ばれて部屋を出て行った。

ただ一つ違ったのは、兄さんの歩き方が異常だった事。


私は、兄さんのことが心配だったが、とりあえず学校に行くことにした。

学校に行っていれば、私だけは何とか父上から逃れる事ができる・・・そう思ったからだ。

今となっては、自分勝手な選択だった。


学校から帰ってくると、兄さんがいつもと変わらぬ笑顔で迎えてくれた。

しかし、顔は大きく膨れ上がっていた。私は、なんて事をしたのだろう、と後悔した。

私が学校で楽しんでいる間も、兄さんは拷問を受けていたというのに。


この日は、兄さんと隣で寝る事ができた。

嬉しかったが、夜通し続く兄さんの苦痛で悶える声に、その分だけ胸が痛んだ。


次の日の朝も、兄さんは笑顔で私に挨拶をしてくれた。

そして昨日と同じように、父上に呼ばれてあの部屋へ向かった。

私も昨日と同じように、学校へ向かった。


*


学校が終わり、私は、全速力で通学路を駆けて行った。

今日こそ父上のやっている事を止めさせてやる、と心に決めていたのだ。

早く帰ることができれば、止められるかもしれない。


しかし、家に着いた時、私は呆然とした。


家が、燃えていた。

バチバチと音を立てながら、火は家を包み込んでいく。


私は、何があったのかわからなくなりパニックになった。

無理も無いと思う。帰る家が燃えていたら、誰だって驚くはずだ。

とりあえず、私は何があったのかを確かめるために屋敷へ入った。


酷い有様だった。部屋は崩れ落ち、人の死体がいたるところに転がっている。

探していると、まだ息のある使用人を見つけた。私は彼に話を聞くと、彼は、「化け物」という言葉を残し息を引き取った。

すると、あの部屋の扉が、ギイと鈍い音を立てて開いた。


出てきたのは兄さんだった。上半身服を着ていなかった。息は荒く、体には無数の傷がある。


「大丈夫!?兄さん!」

「ああ、大丈夫だ・・・」

かすれた声で兄さんは言った。明らかに大丈夫ではない。

私は、あの部屋を覗いた。すると、信じられない光景があった。


父上が死んでいた。ぐったりと床に転がっている。


「兄さん、これどういう事・・・!」


私が問うと、兄さんはニタァ、と冷たく笑った。


「なあ、楓。俺は、実は僕じゃないんだよ」

今まで聞いた事も無いような怖い声で、兄さんはそう言った。

私は、兄さんが何を言っているのかわからなかった。しかし、恐怖で体は震えていた。


「分からないよな、楓・・・

俺は、ずっと本当の自分を押し殺してきた・・・

それが、``俺´´なんだよ。分かるか?」


言ってる意味が分からない、と私が言うと、兄さんは声を出して笑った。


「そうだ。分かるはずが無い・・・

お前が会っていたのは俺じゃなく僕だからな・・・」

「何を言ってるのか分からないよ!兄さん!

目を覚ましてよ!」

私の必死の呼びかけにも、兄さんは動じない。

兄さんは父上を指差す。


「こいつなんて死んでも良かった、そう思わないか?

俺たちの事を物のように扱い、まるで人形のように使用する・・・・

だから、俺はこいつを殺した。そして、俺は僕ではなく俺として存在する事ができるようになった」


私はまだ兄さんの言っている意味が分からなかった。

頬から涙が出てきた。恐怖で体は震えたままだ。


「俺と一緒に来い、楓。本当の自由を見せてやる」

兄さんが私に手を伸ばす。しかし、私はその手を払った。

兄さんは驚いた目つきでこちらを見た。


「こんな兄さん、兄さんじゃない・・・

 絶対、いつか目を覚ませてやるんだから・・・・!」


そう言って、私は窓から屋敷を飛び出した。

そして、振り返らず、全力で走った。

涙が邪魔で前が見えなくて、どこを走っているのか分からなかったけど、ただひたすら走った。

止められなかった自分が、情けなかった。


走り続けてボロボロになった私を、偶然見つけたナナカマド博士は拾って育ててくれた。

元気が戻り、体力も回復した私は、博士のカバンの中で誰かのパートナーになる日を待っていた。




これが、マジュに会うまでの話。

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